事務所便り
家事調停委員を終えて
私は、本年3月末日をもって東京家事調停委員(本庁)を退任しました。満70歳での定年退任です。特段、「定年です」と裁判所から言われることなく、次年度の再任がないだけのことですので、自分の中だけで了解していたことです。
退任の半年前である昨年の秋頃からは新規事件担当の依頼(配点)がなくなりますから、退任時期が近いことには当然気が付きますし、着地に向けて手持ち事件の終了に心を配るようになります。未解決の事件を残すと、事件途中から別の調停委員の方に引き継いでいただきことになり、当事者の方々にもご迷惑をかけることになるからです。弁護士調停委員は、担当する事件のほとんどが相続関係事件(遺産分割、遺留分減殺事件等)ですので、調停が長期にわたることが通常です。私の場合には、結局、2件を未解決として退任を余儀なくされました。
私が、家事調停委員の任命を受けたのは平成6年のことですので、都合、24年間にわたる仕事であったことになります。逆算すると、私が46歳の時のことだったのです。家事調停委員は満40歳以上が要件ですが、一般調停委員の場合はともかく、当時は弁護士調停員の場合は、満年齢の要件よりは、弁護士経験(法曹経験)何年という要件が重要であったように記憶しています。
当時の家庭裁判所の庁舎は、現在の庁舎から見て南隣のブロックの厚労省の建物の先の日比谷公園西幸門前交差点の角にありました。建物だけはいまだに残されており、地図で見ると中央合同庁舎5号館別館と表示されています。ここは、私が40年ほど前に司法修習生として家裁修習をしたところで、狭い中庭をロの字に囲んだ変わったビルです。
建設設計のコンセプトとして、すべての調停室に窓を設けて開放的なイメージを目指した、などと説明を受けた記憶があります。狭い中庭には、現在の家裁庁舎の1階フロアーに設置された母親が幼児を抱いたブロンズ像がありました。戦後の新憲法の下で新しく発足した民法親族・相続編、そしてこの新しい法律を具現するために創られた家庭裁判所、その新庁舎建築こめられた当時の裁判所の新しい社会創造への心意気の一端がうかがえます。
因みに、私が新人調停委員となったときは、この旧庁舎で研修を受けました。 (続く)
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