事務所便り
『佐伯山緑地』1
私は、休日には小一時間ほどの散歩をします。専ら、一昨年から昨年にかけて受けた左右の脚の動脈バイパス手術の術後の足慣らし、血行の改善のためです。その毎回の散歩のコースが、自宅近くにある佐伯山緑地から始まるのです。
この佐伯山緑地は、関東平野の関東ローム層の荏原台の丘陵の南端に位置しており、ここから東京湾の海岸に向かって平地が広がっています。多摩川の北に位置する久が原台、池上本門寺の下を流れる呑川を隔てた北側の荏原台、その北には目黒台と呼ばれる丘陵地があり、起伏にとんだ丘陵地帯となっています。通称「佐伯山」は呑川と内川と言われる小河川が谷状の作る間の台地で、佐伯山緑地の南側の細い道路を隔てて接しているのは、私の母校である大田区立大森第三中学校であり、幼いころから身近な場所でした。
この周辺の地域(大田区・品川区・目黒区)には先土器時代(25000~15000年前)の遺跡がある他、台地部の辺縁部まで海が入り込んでいた縄文時代(約6500~2300年前)には貝塚を伴った集落が区内各地に見られます。弥生時代(2世紀)の久が原遺跡には、1000戸以上の住居跡があったと推定されています(「地図で見る大田区」より引用)。大森駅の近くにはエドワード・S・モースが発見した有名な大森貝塚があり、駅の北側の住宅地の下に縄文遺跡が埋まっていますし、池上本門寺の末寺には縄文遺跡が残されています。
佐伯山緑地の山の上には、栄養学の創始者であり、世界で初めて栄養学校を創立した佐伯矩(さいき ただす)博士の胸像が立っています。以前は、道に面した平地部分には栄養学校の学舎があり、生徒の通学で賑やかであったことが思い出されます。いつのことだったか、栄養学校は蒲田に移転したと聞いていました。校舎の裏手の山は、手入れがされない松や椎などの巨木が生い茂る暗い森で、高い塀やフェンスで囲まれ、沢山の烏の営巣で騒がしく、烏の嫌いあった某都知事の時代には、烏捕獲用の檻が設置されているのが見えたりして不気味な場所でした。博士の胸像の説明プレートには、大田区が平成12年に佐伯氏から、佐伯山の西側の約3000㎡を公園用地として寄付を受けたと記されています。その後大田区は、明るい公園に整備して「佐伯山緑地」と名付けて公開し、常時、造園業者が植栽を管理しています。
次回は、この公園での私の趣味である植物観察について書いていこうと思います。
記:林史雄
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